「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

無意識な社会的圧力

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「道徳」というものは、ある種の社会的圧力でもある。

 

「それを守らなければ社会的に抹殺される」

そうした強迫的要素を持ち合わせているのだ。

 

人は生活を便利にするためにコミュニティを作り出した。

それが結合していき、社会が出来上がった。

それもある程度進んだものだから、個人が個人のままで利便性を享受できる時代になる。

 

そうすると、コミュニティの煩わしさから逃れて、利便性だけを享受しようとする人が生まれる。

ある意味では、対価を払わずに利便性だけを享受するフリーライダーだ。

そういう人が増えると、対価を支払っている人たちへの負担が増えて、そこに不満が集まる。

 

いわば、「支える側」と「支えられる側」

その両者間で軋轢が生まれる事で、その不満の矛先は社会を動かすリーダーたちに向けられる。

 

「無意識な社会的圧力」

 

私たちは、コミュニティに所属している限り、コミュニティへの貢献を求められるのだ。

メリットを享受する人が増えたならば、コミュニティは立ち行かなくなる。

それは当たり前のことだ。

 

そして、その圧力にさらされることが嫌ならば、そのコミュニティを抜けるしかない。

しかし、コミュニティが大きくなりすぎたために、簡単に抜けることはできない。

 

結果として、コミュニティへの不満を飼い慣らしながら、コミュニティからの圧力を我慢しながら、可能な限りコミュニティへ貢献する努力をして、悶々と生きていくことになる。

 

その状態では、自己肯定感など芽生えるはずがない。

社会保障」のあるべき姿は、もっと血の通ったものであるべきなのかもしれない。

 

もっと、人が人に興味を持つことが当たり前になればいいのにね。

もっと、人と人が繋がることが当たり前になればいいのにね。

 

人々の心が濁りすぎた結果。

自らの無垢な心を曝け出すことにリスクが生じる。

だから、人々は防衛本能を働かせて、なるべく他人との関わりを避ける。

 

この病理を取り除く術はあるのだろうか。

私たちは、どこへと進むのだろうか。

心なんて必要なくなるのだろうか。

 

有機的なものに、血の通ったものに、

もっと大きな価値が生まれれば良いのに。