今や、必ずしも勤続年数によって会社への貢献度が決まるとは限らない。
年齢も然るべし、必ずしも年長で社会人経験の長い人の方が会社に利益をもたらすとは限らないのだ。
「多様な働き方」
社員それぞれが、それぞれの役割を限られた時間の中で可能な限りこなすこと。
そして、その役割に見合うだけの対価が給与として支払われること。
それができる組織であれば、おそらく従業員から正当な不満が生じることはないのだろう。
「若手」は、自分より給与の高い半ば窓際族のベテラン社員に不満を持ち、「ベテラン社員」は、過去の実績を笠にして、若手に指導をしたがるのだ。
それをどのようにフィックスして、なるべく不満の少ない形に折り合いをつけるのか。
経営者はそれを求められるのだろう。
人のマネジメントは難しい。
なぜなら、大抵の人間は自分のことを無意識のうちに過大評価しているからだ。
自己評価と他者評価の乖離に不満を抱かない人間はいない。
それをできるだけわかりにくい形にして、従業員にとって「正当である」と思わせるような人事考課が、ある意味正解なのかもしれない。
誰かと比べることで、居場所を確保する。
世界の距離は縮まったものだから、恵まれた環境に身を置く人に接触することは容易となった。
自分と同じ年齢でも、会社から評価されて、自分の倍の収入を得ている人。
そういう人も世の中には当然いるのだ。
そうすると、今いる環境での見えない不満が浮き彫りとなる。
そして、槍玉に挙げられるのは、仕事をしないで高い収入を得ているベテラン社員となる。
今の若手は、早くから現実をしっかりと見ている。
向上心が強ければ強いほど、堕落した組織からは離れていく。
終身雇用制度の遺物とでも言えるような、堕落したベテラン社員に己の身を重ねて、「羨ましい」と思う人は、おそらく会社にしがみつく側の人間なのだろう。
そもそも、若手とベテランでは、会社に対する忠誠心が違う。
仕事の捉え方も違う。
会社に求めるものが違うのだから、これまでと同じ軸で評価していたら、若手が離れていくことは当然なのだ。
何が書きたかったのかわからなくなってきたが、
普段なんとなく感じ続けている憤りを文章にしてみた。
会社に限らず、あらゆる組織は変わり続けなければ淘汰される時代なのかもしれない。
人の収入もまた、どんどん格差が広がっていく。
そういう時代へと進んでいる。