バブルが終わった頃からか。
若者が日本の将来に、自分の将来に期待をしなくなった。
右肩上がりに豊かになることを信じてやまなかった日本人たち。
それが幻想であることを否応なしに突きつけられたのだ。
私にはバブルの記憶は全くないけれど、私よりも少し上の人たちの話を聞くと、幼少期に豊かな時代を経験したことによる弊害に悩まされているという声を聞く。
生きてきた時代が右肩下がりなのだ。
自営業の親を持つ家庭で育った先輩の話では、
物心ついた時は外食ばかりをしていた。
散々散財をして、それでも家庭は裕福だった。
しかし、一転して親の事業が立ち行かなくなり、事業を畳むことになる。
雇う側から雇わられる側になった。
もちろん生活は一変する。
そこから家庭不和となり両親は離婚したそうだ。
母方についていくと、生活はより一層厳しい。
「どうしてこんなことになってしまったのか」
鬱憤を抱えながら幼少期を過ごしていたと聞いた。
そういう経験をすると、人は未来に期待をしなくなる。
「期待を裏切られること」が怖くなるのだ。
世の中、どれだけ努力しても報われないことの方が多い。
それでも「努力が報われなかったとしても、報われるまで努力し続ける」
その人の努力は必ず報われる。
某アイドルの方は「努力が必ず報われることを自分の人生を通して証明したい」とスピーチしていた。
それを希望として、どんなに逆境に直面しても、努力を止めることなく続けることのできる強さを発揮できるのであれば、きっと世界はいい方向へと進んでいくだろう。
「努力が報われない経験を重ねる」と、
「努力が報われないこと」が怖くなるのだ。
そして、努力することを辞めてしまう。
今の時代は、失敗しない生き方ばかりが正解だと思われがちだ。
SNSに溢れている成功者たち。
彼ら、彼女らのほとんどは失敗を重ねた末に今の立場を手に入れている。
そして、表向きは成功しているように見せていたとしても、実際は苦悩に耐えながら生きているかもしれない。
詰まるところ、公の姿は虚像なのだ。
その虚像ばかりを信仰する時代。
それは「失敗することが悪」だという風潮が蔓延るのも無理はない。
何が書きたかったのかというと、今の時代はスマートさばかりを求められている気がする。
泥臭く傷ついて、死にかけて、欲しいものを手に入れるような経験が少なくなっているのではないだろうか。
特に若いうちは、がむしゃらに経験値を蓄積した方が良い。
楽して生きていけるほど甘い世の中ではない。
後で後悔をしても遅い。
国が豊かだった時代は終わるのだ。
自分の生活は自分で守らなければならない。
そういう時代に進んでいる。
誰かのせいにしたところで、何も変わらないのだ。