驚くほど早い3ヶ月間だった。
気がつくと、3月が終わろうとしている。
そこで私は6年間ブログを続けていることに気がついた。
2018年3月21日は私がブログを始めた日だ。
例年、この日には周年記事を書いていたが、今年は忘れていた。
3月の終わりを意識して思い出す。
そういえば、6周年を迎えていたはずだ、と。
私のブログに対する意識は薄れているのだろう。
見方を変えれば、ブログが当たり前のように生活に根付いているとも言える。
6年ともなると、感慨深いものはない。
特に節目と言える数字でもないのだ。
敢えて表現をするならば、小学校に入学してから卒業するまでの期間だ。
それだけの期間、私はブログを続けてきたということになる。
そう考えると長い期間だ。
私は30代の多くをブログと共に過ごしてきたということになる。
これから先のビジョンは全くない。
私はこれから先、どのようにブログと接していくのだろうか。
毎日更新を続けて2000日を超えた。
次の目標となる数字も思い浮かばない。
私はただ、生活の一部としてブログを書き続けているのだ。
ただ、書かずにはいられないから書き続けている。
それだけなのだろう。
開設当初は、弱者男性としてのお気持ち表明ブログだった。
そこから私の状況は大きく変わった。
高齢童貞だった私は結婚をして、子供ができ、父親になろうとしているのだ。
当然、ブログに書く内容も変わってくる。
当初は「報われない気持ち」を書き連ねていたが、今では「人間賛歌」寄りの内容に変わってきている。
ロックバンドが売れてきたら人間賛歌を書くような構図と同じ変遷を、私のブログも辿っているのだ。
負のエネルギーにも限界がある。
どんなに報われなくても、その状況が続いたとしても、それをアウトプットし続けることには限界があるのだ。
どこかで報われない状況が変わるか、報われない状況を受け入れるようになる。
そうやって、人はある種の「大人の階段」を登って人生に折り合いをつけていくのだ。
私の場合は、ありがたくも望む方向に転じた。
おそらく私は「結婚できる人種」ではない。
たまたま運良く妻と巡り合い、お互いがお互いのことをパートナーとして受け入れることのできる変わり者だったから結婚ができた。
私は運が良かったのだ。
そのことに対する感謝を忘れてはならない。
それを忘れないために、私はこうしてブログを書き続けているのかもしれない。
節目を迎えるたびに、昔のことを思い出して、今の自分が恵まれていることを確認するために、私はブログを書き続けているのかもしれない。
そういう動機も有りだな、
そう思った。