結局、信頼される人というのは、私利私欲よりも人のために行動できる人なのだ。
だから、そこに自分の理想を置くことで、結果として自分のためになる。
「利他」に身を委ねる。
それは何も他人に媚び諂うことを指すわけではない。
全体を俯瞰して最適だと思える選択を、私利私欲を度外視して選び取ることができるのか。
そこが試されているのだろう。
「こうしたら自分が損をする」
「こうした方がいいけれども、自分よりも別の誰かが得をする」
そう思った時に人はその選択を躊躇する。
そこに「弱さ」があるのかもしれない。
確かな価値判断基準があり、それに身を委ねて生きている人は選択を迷わない。
「臨機応変」という言葉は便利なようで根無草なのかもしれない。
ここしばらくの私は、あまり深いことは考えずに、出たとこ勝負を経験しないと「ぶっつけ本番力」が身につかないと考えていた。
だから、その時その時で最適と思える選択をしてきたつもりだが、どうも方向性が定まっていないように思う。
生きていれば、選択に迷うことなど山ほどある。
その時のために、あらかじめ、選択に迷った時の行動規範を決めておくべきなのか。
それとも「ぶっつけ本番力」を養うために、臨機応変に舵を切ったままにするべきなのか。
すぐに答えは出ない。
「人のために行動する」
それは歳をとるにつれて難しくなる。
体力が衰えて、環境が固定化されていくうちに、どこか人生に対する甘えが生じるのだろう。
だから体の動くうちが大事。
人の意思など揺らぎやすいものだから、
自然と人のために行動できるよう、自身の価値観をそちらの方向に誘導してあげなければならない。
ゆらゆらと揺らいでいる。
生活が大きく変わる今は、私の価値観を方向付けるための大事な時期なのかもしれない。
果たして私は、私利私欲に負けることなく、人のために行動できるのか、自らの行動を振り返る必要があるのだろう。
今は大事な時期だ。