私は自分に対して厳しいのと同じくらい、
他人に対しても厳しいのだろう。
上辺はうまく取り繕うけれども、
心では相手を認めていない。
だから恋がうまく行かない。
よく「優しい」と言われる。
「優しすぎる」と言われることも珍しくない。
だけれども「優しさ」って、
ある意味では「あきらめ」の別の形、
相手にあまり期待していないのだ。
求めているものが少ないから、
だから誰に対しても優しくできる。
私が女性を好きになる時って、
「すごいな」がきっかけだったりする。
ある一面で「すごいな」って思うと、
そこから目で追うようになり、
気がつくと好意に変わっている。
そういう習性の持ち主だから、
女性から好意のようなものを寄せられても、
それを受けての自分の気持ちを固めるまでに時間がかかる。
おそらく目で追う方が先になって、
「すごいな」を見つけ出そうとするのだろう。
そうやって時間をかけて目で追って、
気持ちの固まる頃には相手は冷めている。
その繰り返し、
一途にまっすぐに、
私の気持ちが固まるのを待ってくれるような、
そんな女性はいないのだ。
「結婚」という名の列車にに乗り遅れないように、
みなさん取っ替え引っ替え可能性を探っているみたいだから、
私のやり方はおそらく現代に馴染まない。
だからチャンスを逃し続けるのだ。
だからここ最近は「とりあえず彼女を作らないと」って焦りから、
無理に好きになろうとしていたのかもしれない。
だけれども結局はうまくいかない。
そうこうしているうちに、
大した経験も重ねてこないで、
私の市場価値はどんどん下がる。
年齢って男でもなんだかんだ大事なんだな。
婚活を重ねてそう感じた。
年相応の経験を重ねていない。
だからデートをしても相手は不安を感じてしまうのかな。
もはや八方塞がりだ。
やるべき時にやるべきことをしてこなかった。
今更取り返すことはできないのかな。
意識しないと仲良くできるのに、
だから好意のようなものを寄せられるくらいにはなる。
意識すると途端にうまく接する事ができない。
今ではその自意識が広がって、
女性不審にまで陥っている。
「私の女性を見る目」
それをどうにかしないと、
もはや先には進めないな。
傷つくことに敏感になりすぎて、
不誠実さのかけらが見えるだけで、
「クソ女」ってそういうレッテルを貼る。
「処女性」
女性はどこか清らかなものって、
そう思い込んでいたのかな。
私の女性に対する神秘のベールは剥がれてしまった。
そこから先に見えたものは地獄だった。
どうやら末期みたい。
剥がれる前に誰かと一緒になれれば良かったのかな。
それはそれで地獄なのかもしれないけれど、
諦めがつくってものだ。
詰まるところ、
自分で作り上げた世界で、
ぬくぬくと生きていた私が悪いのだ。
こうなってくると、
一人で生きる道を模索した方が幸せなのかもしれない。