Twitterで投稿されていたある漫画、
はてなブックマークでもトップに載っていたので、
ご覧になった方も多いだろう。
高級デリヘル嬢が客との情事の最中に、
120分のタイムリープを繰り返すというもの、
そしてそのタイムリープを5年分繰り返した。
これ以上は内容に言及するのは控えておく。
一つの題材に様々なスパイスで味付けした、
そんな素晴らしい作品なので、
是非とも読んだいただきたい。
この作品を読んで、
様々感じるところはあったけれども、
「5年間」
そこに焦点を当てたい。
完全に自由に使えて、
おまけに年を取らない。
あそこでは下界の1日で1年間の時が過ぎる。
ただし人生で2日しか入れないんだっけか。
この漫画では「5年間」
しかも歳を取らない。
さらに現実からのロスは1日もない。
そんな時間が、
「5年間」もあるとするならば、
いったい何に使うか。
タイムリープだ。
周りの記憶には残らないのだ。
ただループされるだけ、
ループを抜けられるかはわからない。
欲望の限りを尽くすだろうか。
それともループを抜けることを信じて、
その後の糧にするだろうか。
こういう時に人間性が試されるのかもしれないな。
5年前の私、
おそらくバイタリティという面では、
最も充実していた頃だ。
大抵のことは「何とかなる」と思っていた。
「なんとかできる」という根拠のない自信があったのだろう。
ちょうど仕事で転機があり、
長期の休みをとれた。
一人で海外を旅行したのもこの時期、
1週間ほど宿も予約せずに、
行き当たりばったりで国内を練り歩いたのもこの時期、
「一人でできることはやりつくしたな」
そう思ったのがこの時期だろう。
そして翌年にパニック障害を発病する。
それで世界の見え方は大きく変わった。
その2年後には、
「下手したら死ぬ」と言われた病気にもかかった。
5年前の私、
周りから見たらそうは変わらないのかもしれない。
だけれども自分の感覚では今の私とは全くの別人だ。
だからこのブログでは、
「今の私」と「前の私」
そういう表現を使う。
これから先の5年、
私はどのように世界と関わっていくのだろう。
今の私とは全くの別人になっているのだろうか。
「未来の私」
もう一度くらいは、
価値観の変わるような出来事がある予感はする。
5年間、
改めて長い期間だと実感する。
5年前は、
愛犬は元気に駆け回っていた。
姪も甥もまだ生まれていない。
そして私はまだ私の可能性を信じていた。
20代の私、
揺るがぬ信念のようなものがあった。
「その通りに生きていれば間違いない」って、
そう思えるほど確かなもの、
だけれども、
それだけではダメだった。
そうして色々なものを手放して、
時には手に入れて、
今の私にたどり着いたのだ。
手に入れ続けた20代、
手放すことのほうが多かった30代、
少なくともこれまでは、
これからの5年間、
私はどう生きるのだろう。
ワクワクはしない。
どちらかといえば不安のほうが大きい。
だけれども命ある限りは歩み続けるしかない。
時間がループすることなど、
どれだけ願ったところで、
現実には起こらない。
この一日を踏みしめて、
未来への糧にするのだ。
「バイタリティが欲しい」
無理のできない体になってしまったものだから、
そう感じることは多いけれど、
それは今だから思うこと、
人は掌中の幸せには気が付かないのだ。
欲しいものばかりに目を向けて、
それが手に入らないから「満たされない」
人生の多くはその繰り返しだ。
「満たされたい」
そればかりを願っている。
「満たされない自分」をいつまでも監視して、
「やっぱり満たされない」ってさ。
いつまでも、いつまでも、
「満たされない自分」にしがみ付く。
満たされてしまったら、
そこで終わってしまうからさ。
何かを見つけ出して、
「満たされない」ってどこか嬉しそう。
そしてそれを続けることでさ。
人生の最後の最後に満たされるのだ。
きっとそういうもの、
私はあと何回、
5年間を積み重ねられるのだろう。