5年前の私、
精神的に死にかけていた。
いや、むしろ「生きすぎていた」のかもしれない。
常に神経過敏な状態が続き、
夜はまともに寝られない状態、
何度か起きた「パニック発作」
夜中に目が覚めると体の感覚はない。
自分が誰なのかを自覚するのに時間がかかる。
「大丈夫」「大丈夫」と自己暗示を繰り返して、
ようやく「こっちの世界」に戻ってきたようだった。
あれから5年が経ったのだ。
「今の私」に変わらざるを得なかった経験、
本質的には変わらないのかもしれないけれど、
「世界の見え方」は大きく変わってしまった。
5月24日、
毎年記事にしているように思うけれど、
始めて大きな異変を感じた日、
だけれども、
この記事を書こうと思い立つまで、
私はそのことを忘れていた。
5年という歳月を経て、
過去に縛られていた自分を、
少しは解き放つことができたのだろうか。
思えば2016年は大きく人生を損ねた年であり、
大きく生まれ変わった年だった。
それまで培ってきた価値観を一度リセットした。
毎日を生きることに必死だったから、
目の前にあることにすがりついて人生を取り戻していった。
やっと一息ついたところで、「酷い裏切り」にあった。
そこまでが私の2016年だった。
それからも打ちのめされるようなことが重なった。
下手したら死ぬと言われた病気にかかることもあった。
20代とは比べ物にならないくらいに、
「生きることの辛さ」を痛感した。
そうやってここまでたどり着いたのだ。
一度メンタルをやってしまったらもう元には戻らない。
今ではそれを受け入れることができている。
もしも私の人生が短いものであれば、
「こういう経験をして良かった」と思う。
私の寿命がいつまで続くのかはわからないけれど、
40年、50年と続くのであれば、少しばかり重すぎはしないだろうか。
そんなことを考えていた時期もあった。
だけれども「私の人生」というものに、
アナザールートはないのだ。
例え、パラレルワールドがあったところで、
そこで暮らす「私」は、ここに確かに存在する「私」とは別人だ。
Official髭男dism『Pretender』
もっと違う設定で もっと違う関係で
出会える世界線 選べたらよかった
そう願っても無駄だから
もしも一か所だけでもボタンを掛け違えていたら、
私は今頃、誰かと一緒になっていたのかもしれない。
もしかしたら、子供もいたのかもしれない。
それだけのチャンスは経験してきた。
久しぶりに会った後輩から言われたばかりだ。
「ますをさんはそこまで言って付き合えないのかってことばかりですよね」
「病気になったり、体調崩したり、運が悪すぎだと思いますよ」
そういう星の元に生まれてきたのだろう。
一般的には最もパートナーを見つけやすい「適齢期」
私はその期間を棒に振ってしまった。
ここから先はハンデを背負った戦いになるのだろう。
5年間の重み、
振り返るとそれをヒシヒシと感じる。
私は大事な5年間を正しく歩むことができたのだろうか。
「振り返ると」
少なくとも今の私はそう思えるくらいには、過去のことを手放すことができているのだ。