「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

人は理解するために「名前」をつけたがる

f:id:tureture30:20200826224237j:image

 

ある意味でこの記事は「リライト」だ。

だいぶ前にこういう記事を書いた。

 

tureture30.hatenadiary.jp

 

これは私の実感であり、

パニック障害を乗り越えるための心の支えでもあった。


昨今「発達障害」にスポットが当たり、

その「生きづらさ」を主張したものが目に付く。


当の本人も「もっと早く診断されたかった」

そう主張することが多いようだ。


「自分探しの旅」

「何者かになりたい」

「自分が何者かを知りたい」

 

雑誌やニュースの特集として、

そのような記事が紙面に踊る。

パーソナリティが肥大化した時代、


人は理解できないものが怖いのだ。

だから「名前」をつけたがる。


だけれども「名前」を付けたところで、

「自分」が「自分」であることに変わりはない。


明らかな病変があるものならばともかくとして、

「精神的な特性」なんてさ。

100人いれば100通りのものがある。


だから「自分」になるということ、

どのような不甲斐ない自分であっても、

それを受け入れる覚悟、


そういうものが必要なんじゃないのかな。


「名前」を付けて安心する。

 

それが大事な時期もあるけれど、

それはゴールではない。

 

それだけで終わってしまったら、

いつまで経っても先には進まない。


そして「社会」に対して、

集団で配慮を求めるようになるのだ。


「社会」と折り合いをつけることは大事だけれども、

「社会」にばかり責任を押し付けたところで、

何も変わらないのだ。


「変われない部分」はもちろんある。

だからと言って、

「変わらない」という選択肢はない。


だから「名前」を付けただけでさ。


それを盾にしてさ。

「〇〇グループの私」って、

それを演じる必要ってあるのかな。


パニック障害

 

その言葉は、

私にとっては「言語化の道具」に過ぎない。

医師からはそのように診断されたから、

とりあえずわかりやすいように「ラベル」にしているだけだ。


私の症状は、

一般的なそれとはずいぶん違うようだし、

「不安神経症」の類でも、

「全般性」のそれに近いのかもしれない。


私も随分と調べた。

 

自分をラベル付けするためにさ。

毎日毎日、暇さえあれば自分の症状を調べていた。


だけれどもいくら調べたところでさ。

自分の症状とまったく一致するものは、

どこにも無かった。


だからこの病気、

いや、病気かどうかもわからない。

私に起きたこの「現象」をさ。


唯一無二の「自分病」と名付けた。


結局は言語化するために名前を付けるのだけど、

フォーカスするのは「病気」ではなく、

「自分」なのだ。


何かに所属することで安心しても、

根本的な解決にはならないんじゃないかな。

もちろんそれが「必要な時期」は否定しない。

 

だけれども、

自分の足で立てるようになったらさ。

自分の足で立てそうなところまで来たらさ。


「自分」になる覚悟が大事なんじゃないかな。


どんなにひどい目に合って、

誰かを責めたところで、

この人生って、

最後は「自己責任」なのだ。

 

どこまで行っても付いてくる。

「人生」ってやつ、

 

生きている限りはさ。

そいつと向き合っていかなければならないんだよ。


そう思えるだけの強さは、

いつまでも持ち合わせていたいな。