「魂の原風景」
ある記事を読んでいて「面白い」と感じた言葉だ。
「思想のバックボーンとなるもの」
もっと踏み込むと、
「無垢な時期」に「感動したもの」「衝撃を受けたもの」
そう言い換えられるだろうか。
【私にとっての魂の原風景】
ゲーム:
漫画:「HUNTER x HUNTER」「ONEPIECE」
「NARUTO」
音楽:「BUMP OF CHICKEN」「19」「槇原敬之」
本:「三国志」「ダレンシャン」
映画:「マトリックス」
アニメ:
「ガンダム」
スポーツ:
こんなところだろうか。
メジャーどころばかりで、
いかに私が「俗物」かということがわかるリストだ。
古典から何から漁ったり、
村上春樹さんの本を貪るように読みだしたのは、
30を過ぎて「今の私」になってからだ。
私は多感なお年頃には、
世間一般で流行っているものに影響を受けて育ってきた。
ある意味では、
それが地に足ついた私の「強み」でもある。
年を取ってからどんな文化に影響を受けたところで、
世間から離れて遠くに行ってしまう危険性は薄いのだろう。
芸術作品には「魔力」を秘めたものがある。
多感なお年頃にモロに影響を受けてしまうと危険なこともある。
そういうものを「魂の原風景」としてしまうと、
信仰めいた「魔力」に惹きつけられて地盤が不安定になる。
さらに踏み込んでしまって足場ごと崩れたら、
この世界に留まることは難しくなってしまうのだ。
簡単に情報にアクセスできる時代だからこそ、
気をつけなければならない。
「魂の原風景」
身近なものでいいのだ。
多くの人とそれを共有できるから、
好きな音楽を聞いたときに、
「バッハ」だとか「ハイドン」と言われたり、
好きな映画を聞いたら、
「タルコフスキー」や「テオ・アンゲロプロス」なんて言われたら、
その時点で周りはシャットアウトだ。
「共通の話題」ってものは便利なもので、
社会で「居場所」を獲得するための便利な道具になる。
私は今の子供たちには、
「そのままでは生きていられなくならない限り」は、
みんなと同じように流行りのものに触れて、
みんなと同じようにそれを好きになって、
みんなの輪の中に溶け込んで欲しいと思っている。
「子供が子供ではいられなくなる時代」
きっとこれからの時代は、
危険な文化に魅了される子供が増えると思う。
「事情がある」場合は大人の出番だ。
子供同士では敬遠されるようなお話を、
たくさん聞いて寄り添ってあげればいいんじゃないかな。
「知らない人について行っちゃダメよ」みたいな空気、
確かにそうなんだけれどもさ。
子供が色んな大人に触れる機会は大事だと思う。
親や先生は「保護者」だ。
多くの場合は「保護者」としての接し方になる。
大人は子供の「セーフティネット」
だけれども「保護者」では引っ掛けられない子供もいるのだ。
「バカな遊び」を教えてくれたり、
友達みたいに気軽に相談できたり、
時にはブレーキをかけてあげたり、
そういう大人との接触って、
どんどん減っているんじゃないのかな。
大人の目で見てあげれば、
子供の世界ではとてつもなく大きく思えた悩みも、
ちっぽけに見えることは多い。
だからその目線で伝えてあげられることがある。
上からではなく同じ目線で、
きっとそういうもの、
私に子供ができる予定は今のところ全くないから、
甥や姪にはそういう「保護者」ではない、
「ちょっと変なおじさん」でありたいと思う。
「魂の原風景」
世界の正体に興味を持ってしまったから感じるけれど、
私は「俗物」で本当に良かったと思う。