脳が瞬時に判断する。
「怒り」や「喜び」
「恐れ」や「哀しみ」
その基準は無意識だとしても、
既に自分の中に存在するのだ。
だから過去の経験をもとにして、
脳は「感情」というものを生み出す。
もはや一瞬の出来事だ。
一瞬すぎて何が起きたのか理解が追い付かない。
だから人は「感情」というものに振り回されてしまうのだ。
その出所を直視して、
生まれた感情に「名前」をつけてやる。
「強引」だろうが「後付け」だろうが構わない。
「名前」を付けることが大事なのだ。
人は「得体の知れないもの」を恐れる。
だから「感情」の正体をはっきりさせてやらないと、
「負の方向」へと拍車がかかる。
「負の感情」は自己防衛本能だから、
マイナスにばかりバイアスをかけて、
どんどんどんどん落ち込んでいくのだ。
「感情に名前を付ける」
その「名付け親」は、
他の誰でもなく「自分」なのだ。
だから、
それが生まれた時を知っていて、
それが生まれた理由を知る努力をして、
そいつにどう成長していって欲しいのかを考える。
名前を付けるためにはさ。
それくらいの情報は必要なのだ。
どんなに忘れたい感情でも、
どんなに消えてほしい感情だとしても、
「なかったこと」にすることはできない。
ふとした時に思い出して、
それを懐かしむことができるのか、
それとも、それをトラウマのようにいつまでも引きずってしまうのか。
それは自分次第なのだ。
「見て見ぬふりをする」
そういう時期は確かに必要なんだけどさ。
どこかで向き合ってあげないといけないんじゃないのかな。
「生みの親」は自分自身、
生み出したくせに蔑ろにしてさ。
「名前をつけるための努力すらしない」
それって「ネグレクト」なんじゃないの?
「感情」ってやつは逞しいからさ。
ご飯を与えなくても、世話をしなくても、
一人で生きていくことができるけれど、
長いこと相手にもしてもらえなかったらさ。
そりゃあ、拗ねるよ。
駄々をこねて暴れだすのも無理はない。
だから、ちゃんと名前を付けてあげて、
心の隅っこ辺りにでもいいからさ。
しっかりと「居場所」を与えてあげる。
それだけで安心してくれるんじゃないのかな。
私は私の感情と向き合う。
「負の感情」ほど手のかかる可愛い子供だ。
誰かのせいにしたところで、
何にもならないのだ。