最近よく記事に書くこと。
「自分が主役の人生」から、「次の世代が主役の人生」にシフトした感覚があるということ。
そろそろ私も次の世代を育成するためのスキルを求められるようになってきた。
そして、私の中の意識も自分がガツガツ活躍するより、次の世代が活躍できるようにしたいという意識が芽生えている。
子供が生まれたことによる価値観の変化。
それが私の意識を大きく変えている。
天井が見えてきたということもあるだろう。
いずれにしても私は、自分・自分の人生から、次の世代へのバトンタッチを意識する機会が増えているのだ。
徐々に「手に入れる」から「手放していく」へとシフトしていく。
人は歳を取るにつれて、どこかで需給バランスを見直す必要があるのだ。
億万長者が寄付に走る理由は、税金対策だけではないそうだ。
キリスト教では、死ぬ時に富を持ちすぎていると天国に向かうトンネルを潜り抜けることができないという教えがあるらしい。
上手いことできている。
自らが掴み取った富や名声を広く他者に分配する。
そうやって世界は綺麗に回っていくのだろう。
テイカーからギバーへ。
歳を取れば取るほど、受け取るよりも与えるほうが大きくなる。
少なくとも現役世代のうちは、それが健全な歳の取り方と言っても過言ではないだろう。
私も社会人としては間違いなく中堅と呼ばれる世代になった。
当たり前のように成果を求められるし、後輩や部下の育成を求められるようになる。
「人を育てることのできる人」
それは、自分のことを育てることのできる人。
どうすれば成長できるのか。
それをある程度、体系化できていなければ人を育てることなどできない。
自分がどういうトレーニングをして成長してきたのか。
それを自分の言葉で説明したり、図示できたりすれば、人に伝えることもできる。
自分を育てるための鍛錬を、自分に課してきた人は強い。
人が成長するための過程をイメージできるからだ。
加えて人間性が大事。
自分が成長することにしか興味がなかったり、他人が自分より優れていることに我慢がならない人は、人を育てることができない。
「鍛錬」と「人間性」
それが人を育てるために必要な要素だ。
私にはその二つが備わっているのだろうか。
どちらも足りないように思う。
ただ漠然と自分が成長したいという気持ちはあるが、そのゴールも目的も曖昧だ。
人に何かを伝えるためには、自分の中で信念のような核となるものを持っておくべきなのだろう。
主張がブレていると不審を生む。
ただ自分が人から認められることを目的としていては、人を育てることはできない。
自分が魅力的な人間になるのだ。
結局は、それしかないのかもしれない。
まだまだ自分を磨き続ける必要がありそうだ。