私(A)からすれば、あまり相性が良くないと感じる人(B)でも、他の人(C)にとっては、相性が良いということがある。
私(A)と他の人(C)は相性が良くても、このようなことになることもある。
つまりAとBの相性が悪くても、AとCの相性が良い、そのようなケースがあるのだから、人間とは不思議である。
結局のところ、みんな相性の良い人同士でグループを作る。
時折、強制力が働いて、相性が良いかわからない人と同じグループになる。
そして、そのグループでまた相性の良い人を見つけて同じグループになる。
そうやってグループの輪を広げていく。
特に女性はそう言った傾向が強いのではないだろうか。
人と多く接している人ほど、相性の良い人と多くの縁を結ぶことになる。
だからと言って、多くの人と接した方が良いのかはわからない。
たとえ相性の良い人に囲まれていたとしても、人間関係に振り回されて疲れてしまう事はある。
いくら相性が良かったとしても、自分も相手も時と共に変わるのだ。
いつまでも相性の良いまま、関係を保存できるとは限らない。
そう考えると、適切な範囲で、適切な人たちと、適切な頻度で触れ合うことが、一番ストレスを感じないで済むのかもしれない。
グループを広げすぎると、それはそれでめんどくさいことになる。
疲れていても付き合いが必要な事はある。
誰もが自分の状況を知ってくれているわけではないから、とんでもなく忙しい時に来る誘いにプレッシャーを感じることもある。
それでも、人のつながりの中で生きている実感を覚えるのが人間である。
誰かの役に立つ喜び。誰かを愛し愛されることの喜び。
そういうものが人生に彩りを与えてくれるのだ。
リスクを取ってでも、新しい人とのつながりを求めることには価値があると私は考える。
結局は、相性の良い人としか深い人間関係は続かない。
そうやって、みんな関係を最適化しながら生きているのだ。
それぞれ相性の良い人がいる。
みんな違って、みんな良い。
それで良いではないか。