一つのことを学ぶときに、その一つのことの内容だけを覚えても理解は深まらない。
その一つのことが、全体のどのポジションにあり、どういった役割を担っているのかを理解することが必要なのだ。
「構造化」するための力。
言われたことをその通りにこなすだけでは、決して身につくことはない。
言われたことだけでなく、その先を主体的に学ぼうとする意欲が必要なのだ。
同じ講座を受けたとしても、それぞれ蓄積される経験は異なる。
イメージの仕方によって理解度は大きく変わるのだ。
そのイメージする力を育むためには、日頃からのインプットの姿勢を変える必要がある。
打ち合わせの時は、相槌を打ちながら不明点はこまめに確認をして、頭の中に全体像を描いていく。
最終的にブラックボックスな点があれば、そこを明らかにすることを次までの課題として、徐々に地図の空白を埋めていく。
インプットした内容を他人に説明できるくらいにまで解像度をあげる。
それでようやく完成だ。
それが私のイメージする「構造化」されたインプット。
打ち合わせのたびに、それをできるようになれば、相手の要求に対する解像度は格段に上がるだろう。
複雑な話になればなるほど、解像度が重要となる。
解像度が低いまま話を進めていると、進んだ先で認識違いが発覚して、気がついた時には大きな課題に変わっていることも珍しくない。
地道な作業が必要なのだ。
どれだけ頭が良かったとしても、相手の頭の中まで覗くことはできない。
相手との日頃のコミュニケーション、相手の要望を理解しようとする姿勢。
そういうものは、一朝一夕で身につくものではない。
一を聞いて十を知ることのできるような天才ならば話は別なのだろうけれど、「構造化」するためには、真摯な姿勢が必要だ。
結局は、人間性として成熟していくことが成果に結びつく。
歳をとるほどにそれを感じるのだ。