環境の変化によるものなのだろうか。
それとも、私の心と体に変化が起きているのだろうか。
心と体に「衰え」を感じることが増えた。
どちらも少なからず原因であると感じるが、後者の方が影響が大きいかもしれない。
「若さ」がどれほど価値のあるものなのかを描いた作品だ。
私は輝かしい未来を無条件で信じることのできる年齢ではなくなった。
いわゆるミッドナイトクライシスというものかもしれない。
天井が見えてきた。
自分の立場が、だいたいこれくらいのところまでで終わるのだろうなと、そういうキャリアの終わりが見えてくる年齢だ。
加えて、生活の方でも自分のために使うことのできる時間が極端に少なくなる。
平均よりはだいぶ遅れて子育てが始まるから、ワークライフバランスという物を今よりも意識する必要があり、難易度の高いやりくりをしながら生きていくことになる。
そうした不安が、私の判断を保守的にさせるのかもしれない。
これまでの私であれば、上司との面談で「成長を実感できている」など、前向きな発言をしていたはずだが、今の私は「仕事と育児の両立に不安を感じている」と、後ろ向きな発言をしてしまった。
振り返ってみて、なんとも私らしくないと感じる。
私はこれ以上、仕事で忙しくなることを望んでいないのだ。
というよりも、仕事が忙しくなった中で育児と両立することができる自信がないのだ。
今の時代は共働きが当たり前になった。
だから、男性も家事・育児を行うことが当たり前だ。
そんなステレオタイプ脅威に晒されている。
それに引きずられて、私は仕事もプライベートも中途半端になっている。
単純に、輝かしい未来を信じることのできた私が、私の中から消えてしまった。
それが「衰え」の原因なのかもしれない。
コロナ禍真っ只中の時、年初の目標に掲げたうちの一つに「人類の未来を信じ続けたい」というものがあった。
それが前に進むための希望となると感じていたからだ。
果たして、今の私は人類の未来に希望を見出すことができているのだろうか。甚だ怪しい。
今年は年初の目標すら立てていない。
ただただ忙しさに翻弄されながら時を費やしてきた印象だ。
「余裕がなくなった」
一言で表すと、今の私には昔ほど余裕がないのだ。
環境による変化もある。無理の効かない体に変わったこともある。頑張り続けてきた結果、心が擦り切れてきたのかもしれない。
「父になる」という大きな変化に必要以上に不安を覚えているのかもしれない。
様々な要因はあれど、今の私には余裕がない。
それが私が「衰え」を感じている根本的な原因なのだ。
いつまでも魅力的に輝き続けている人たち。
コンプレックスや老いを超越して、常に自分らしく前を向き続けている人たち。
私は、そういうグループに入ることはできないのだろうか。
天井に手が届きそうな今が、おそらくターニングポイント。
手がかかった天井を「居心地が良い」と愛でるのか、それともぶち破るのか。
それを決めるのは私なのだ。
私しかいないのだ。