「飲めなくってもええねん」
パワハラの象徴のようなダウンタウンの浜ちゃんがCMをしている点がまた説得力を増す。
「多様性」を認める時代へと進んでいる。
それに伴いアルコール飲料も多様化した。
ストロングからノンアルまでの間には、
無数のアルコール度数の商品が並ぶ。
「若者のビール離れ」
そう言われて久しい。
私の感覚では、今の若者たちは飲酒率は高いが変な飲み方をしない人が多いように思う。
お酒の嗜み方を知っているのだ。
この点でも「失敗を恐れて保守的な人が多い」という今の若者の性質が表れている。
反面、おっさんたちからしたら、あまり面白くないと感じる。
お酒に酔って若者の本音が垣間見える姿が面白かったりするからだ。
「こいつはこんなキャラだったのか」
「意外と人当たりが良かったんだな」と、
お酒の席で距離が縮まることは多い。
しかし、今の若者はお酒の席でもボロを出さない人が多い。
小さい頃からSNS社会を生きてきた世代だ。
一度の失敗がデジタルタトゥーとなり、人生を破滅させることを肌で感じているのだろう。
「多様性を認める社会」
それはそれで素晴らしいことだ。
だけれども人は、自分と人を比べる中で安心をする生き物だ。
表向きはスマートに振る舞っていても、裏ではマウントをとっている。
優しいようで優しくない方向に、社会は進んでいっているんじゃないかな。
ある程度は羽目を外したっていい。
その中で結ばれる絆もある。
今の社会は、選択肢が多くなりすぎているのではないだろうか。
同じ物差しの中で見える多様性というものもあるはずなのに、そもそも物差しから自分で選ぶことを求められる社会だ。
他人と比べることの難しい時代でも、人は他人と比べることでしか自分の居場所を確認することができない。
そうやって歪な構造が生み出される。
人生なんてさ。
如何に自分らしさを発揮できる中で幸福が決まるはずなのに、顔色を伺うことばかり増えて、叩かれないように行動することを当たり前のように求められる。
多様性ってなんだろうか。
本当の意味での多様性ってものを、そろそろ考える必要があるのではないだろうか。
人は他人と比べて生きている。
そこを変えることはできない。
ものさしの種類ばかり増やしたところで、
そこを変えることはできないのだ。
自分らしさって、
人とは違う物差しを持つことなのだろうか。
それだけで競争社会から抜け出すことができたと思い込んでいるだけではないだろうか。
選択肢が多いことで、
個性を殺してしまうことだってあるのだ。