皆さんの働く会社でも、会社から同僚を「さん」付けで呼ぶように、という呼びかけがあるのだろうか?
私の会社では、基本的に同僚のことを「さん」付けで呼ぶことが推奨されている。
とはいえ、「くん」付けやあだ名で呼ばれている人もいる。
私はそこに違和感を覚えることはないけれど、人によってはそれが嫌だと感じるらしい。
先日、会社から通達があった。
通達の内容はこうだ。
「さん」付け文化が根付いていない。
呼び捨てや「くん」付けで呼ばれている人を見て不快な思いになったと通報があったため、改めて「さん」付けを徹底するように。
とのことだ。
それを見た私は、率直に「何だこれ?」と思った。
まず、わざわざ通達するほど重要なものなのか。
全社に通達するということは、全社員の業務時間を奪うということになる。
そうにも関わらず、わざわざ誰だかは知らないが、ある拠点のある人から通報があったからと、そんなどうでも良いことを周知する必要があるのか、と思った。
それでごく一部の人が不快な思いをするならば、その拠点や部署の中だけでやってくれ、と思う。
それに、おそらく問題の本質は「呼び方」にあるのではないだろう。
私の推測に過ぎないが、おそらく何らかのハラスメントが絡んだ結果、こういう通報の仕方になったのだ。
さすがに「呼び方」だけで、不快だと会社に通報するほど暇な社員はいないはずだ。
問題は通報を受け取った側にもある。
受け取った側は、通報を鵜呑みにするのではなくて、本質をしっかりと見極めるべきだった。
それ無くして(しているのかもしれないが)、単純に意味不明な通達を全社的にしたこと自体に、何だか不穏な空気が漂う。
「ホワイト過ぎてブラック」
私は今の会社に対して何度もそう感じたことがあるけれども、今回もその一例だ。
資本主義経済に身を任せることも重要。
モラルのある社会の中では「見えざる手」の働きにより、うまいところに落ち着いていく。
それを無理やりルールで縛ろうとするからおかしな話になる。
「さん」付け文化を根付かせたいという狙いの本質は、互いを尊重し合えるような空気を作りたい、というところにあるのだろう。
何も「ルールを守ること」が目的ではないのだ。
それに、あだ名で呼ぶことで同僚同士の距離が縮まるケースもあるだろう。
問題を抽象化できていない。
そこに問題がある。
先日読んだ本では、具体化と抽象化を相手のレベルに合わせて伝えることのできる人が営業の達人だ、というようなことが書いてあった。
ルールを具体化しすぎて、現場までルールを作った意図が伝わっていないから、こういうことになるのだ。
少し闇を感じた。
私の会社は大丈夫なのだろうか。