「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

決断を求められることばかり

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子供が体調を崩して、夜間に救急で病院に連れて行く機会がたびたび重なった。

子供のことを心配する気持ちはもちろんあるが、その度に「またか」と思ってしまう。

 

仕事は忙しい時期だ。

そして私の家事負担は妻が育休中の頃と比べて格段に増えた。

妻の要求は少しずつだが確かに水かさを増している。

私の心のダムは決壊寸前のところまで来ているのかもしれない。

 

「頼られること」は嫌いではなかった。

しかし、今は頼られすぎて嫌気がさす。

 

仕事でもそうだ。

私の下についてくれているメンバーは、何か少しでもわからないことがあると、これでもかというくらいに私に相談してくる。

私がそれを許容するスタンスで仕事をしてきたからなのだが、責任はいつだって私の決断にのしかかるのだ。

 

家庭でもそうだ。

最近の妻は最終的な決断を私に委ねることが増えた。

夜間に子供を病院に連れて行くのか。

それとも様子を見るのか。

その分水嶺にどちらの道を選ぶのか。

妻は疲れ切って自分の判断力に自信を持てないらしいから、最後は私が決めなければならない。

 

スティーブ・ジョブズだったか。

バラク・オバマだったか。

あるいは両者どちらもだったか。

彼らはあまりにも日常的に決断しなければならないことが多いから、脳のリソースを節約するために、なるべくどうでも良いことの決断か回を減らす習慣を身につけているようだ。

 

一例として有名なのが、服のコーディネートにルールを設けていること。

曜日や日によって、ルールに基づくコーディネートとすることで、その日に着る服を考えなくて良いようにしているそうだ。

 

私もどうでも良いことは、とことんどうでも良くなってきた。

彼らのように意識的に脳内リソースを節約しているわけではなく、単に今の生活に対応できるだけのリソースが私には足りていないのだろう。

 

そんな私の今の生き方が、私を、そして家族を、あるいは仕事のチームをどこに導いているのかはわからない。

しかし、人生なんてそういうものなのかもしれない。

どれだけコントロールしようとしても予想外の出来事が頻発する時期はあるし、どれだけ用意周到に臨んでも、その斜め上をいく出来事に遭遇することはあるのだ。

 

結局は、出たとこ勝負のぶっつけ本番力が求められる。

そして、それを養うためには経験を積み重ねるしかない。

今の私は修業の身なのだ。

まだまだ半人前にも満たない駆け出しのようなもの。

 

父親になってからの私は、気が付かないようでも、確かな一歩を積み重ねている。

そう信じて前に進み続けるしかないのだ。

自分の選択に責任を持って生きる。

私はそう決めて生きているのだから。