「ポジティブな言葉が湧いてくる」
なぜだろう。
今の私がそうだ。
先日ふと勃発した眠れない夜、
そいつを乗り越えたからか。
「眠れない夜を乗り越えた数だけ強くなれる」
「涙の数だけ」とほぼ同義だろうけれど、
私はそう思っている。
だから眠れない夜が顔を出しても、
そいつに縛られることなく、
その先に目を向けることができるのだ。
「無意識」が眠らせてくれない。
寝付いたと思っても「ビクッと」して目が覚める。
記憶には残っていないけれど、
夢の中で何か恐ろしいことでもあったのだろうか。
そういう時は豆球だけをつけて、
ぼんやりと天井を眺めて思考の渦に身を委ねる。
そして体の各部に感覚を移していき、
「痛みやコリや冷感」そういうものに目を向けて、
その個所を温めたりグッと伸ばしてやる。
そうこうしているうちに、
無秩序だった思考の渦は体系付けられていく。
「もう大丈夫だ」
自然とそういう言葉が降りてくる。
こういうのって、
ある種の信仰体験なのかもしれない。
人は「経験」を信仰する生き物、
「冷静に考えるとありえない」
そんな不合理に対しても、
「経験」を積み重ねることで、
それを「信仰」へと昇華するのだ。
「良くも悪くも」だけれども、
「眠れない夜」
それは無意識の産物で、
私の作り出したものだ。
普段は手付かずになったままの思考の渦に、
まとまった時間を費やす必要があるのだろう。
まずは窓を開ける。
風の音や感触に体を預けて物思いに耽る。
酷い時になるとパジャマのまま辺りをぐるりと徘徊する。
そんな夜が続くこともある。
だから日中は眠くて仕方がない。
もともと睡眠に関しては「のび太」だった私、
「眠れない」なんて考えたこともなかった。
だけれども、
そういう体になってしまったのだ。
「無意識」
そいつはとても厄介な奴だけれども、
私をどこかに導いてくれているのだろうか。
頭の中にある膨大なアーカイブ、
それを整理するための時間を作り出しているのだろうか。
そして、
それは私の人生に必要な作業なのだろうか。
だけれども心配だ。
時折こんな夜を迎える私、
誰かと一緒に生活することができるのかな。
寝室は別にしないと無理かもしれない。