まだ私が20代の頃、前の会社でのことだ。
あるプロジェクトで出向扱いとなり別会社で働いていた時の話、
そこでの上司はコテコテの関西人だった。
プロジェクト前は大阪で働いていたが、東京へと転勤となった上司、
京都出身でそこへのプライドは高く、今回の異動は「上京」ではなく「東下り」やと常々口にしていた。
私の「要を得ない報告」に対して「こういうことやろ」と脳内で補完して易々と理解する切れ者、
「マジか」と思うくらい頭の回転の速い人だった。
しばらくしてプロジェクトが進むと、顧客の担当者がこちらの拠点に常駐するようになった。
50代くらいで、メールの署名に自らの役職を書いていたり、「関係各位様」だなんて誤用を平気でする。
こちら側の気弱な責任者に対してはパワハラ発言を日常的に浴びせてきたり、早朝から電話をかけてきて出席確認まがいのことをするなどして、休養に追い込まれる人もいた。
そんな完全に地雷な担当だった。
当然、理解不足なくせに主導権を握りたがるその担当者に対して、こちら側はストレスフルな状況が続く。
関西人の上司は「京都出身」ということもあるのだろうか。
相手に気づかれないくらいの「絶妙な嫌がらせ」を繰り返すのだ。
その姿に触発を受けてしまったのだろうか。
私も同じようなことをたまに仕掛けるようになる。
相手の主張する「明らかな矛盾」に気が付かないふりをして、ことを大袈裟にしたうえで「あの人がこんなことを言っていますけれど正しいですか?」と関係各所に言いふらす。
当然、間違えたことを言っているので、その担当者は立場を失う。
そういうことを何度かすると、その担当者の私に対する態度は軟化する。
懐柔するような態度で「期待している」などと心にもない言葉をかけてくるのだ。
わざとやっていることに気が付いたのだろう。
「こいつを敵にするとめんどくさいな」とでも思われたのだろうか。
それを見た上司にかけられた言葉が「ますをちゃんはおもろいやっちゃなー」だった。
当の上司はもっと周到だから、担当者に気が付かれることもなく掌で良いように転がしている。
「さすがだな」と思いながら、その手腕から多くを学ばせてもらった。
この上司とは2年くらい一緒に仕事をさせてもらったけれど、今までに接したことのないタイプだったので、私の仕事の幅と仕事に対する思考の柔軟性は大きく広がった気がする。
「俺は話していないと調子が出ないねん」と常に雑談が絶えることはなかった。
自己開示のデメリットよりもメリットの方が大きいと感じたのはこの上司の影響だったかもしれない。
それと同時に「京都人」は怖いなってのも思った。
直接怒られたことはなかったけれど、振り返ってみると遠回しに注意をされていたことは多かったように思う。
私に対する「おもろいやっちゃなー」も、もしかしたら「注意」だったのかもしれない。
それを私に感じさせることなく「おもろい上司」で居続けたかつての上司は、とても優秀な人だったのだろう。
大阪の方に戻って出世したという話は聞いている。
元気で過ごしはっているのだろうか。
「〇〇しはる」というのは関西弁では謙譲語にも近い尊敬語らしい。
そんなこともその上司には教えてもらったな。
転機を迎えているからか。
なんだか「過去の仕事」を懐かしく思うのだ。
しばらくは「仕事の思い出シリーズ」でも書くことにしようか。