「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

コミュニケーションを取る必要のない時代

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今の時代は画面上で何でも解決する時代だ。

私のよく行っていた焼肉屋さんは、オンラインでの予約受付をした途端に、当日に電話をしても予約を取れることが少なくなった。

 

現代人はコミュニケーションを取ることをコストだと捉える。

だから、電話でしか予約の取れないお店の予約を取ることにはハードルがある。

 

世の中にお店は溢れているものだから、その些細なハードルの有無によって競争力は変わるのだ。

時代に取り残されないようにするためには、ある程度文明の力を使いこなす必要があるのだ。

 

「コミュニケーションコスト」

 

そういう言葉があるけれど、

コミュニケーションの機会をコストと捉えるのか、チャンスと捉えるのかによって人生観は大きく変わる。

 

自分の力だけで味わうことのできる人生の範囲には限界がある。

人との繋がりによって、人生の幅を大きく広がるのだ。

 

例えば日本語の通じない外国人とコミュニケーションを取ろうとすることは、一般的にコミュニケーションコストが高い。

しかし、その機会を自分の人生の幅を広げるためのチャンスだと捉えて、積極的に設ける人はそれだけ世界が広がる。

 

知らない世界に触れる機会が多ければ多いほど、人生は味わい深いものになるということだ。

 

私は割と初対面の人ともコミュニケーションを取れる自信のある方だ。

しかし、時代はコミュニケーションをコストだと捉える傾向に進んでいる。

 

これはもしかしたらチャンスなのかもしれない。

コミュニケーションをコストだと捉える人が多い時代では、コミュニケーションスキルの希少価値は上がる。

 

便利になればなるほど、レガシースキルの使い手が減り、そのスキルの希少価値が上がるというIT関係のスキルと同じようなことが、コミュニケーションにも街頭するのかもしれない。

 

「人から信頼を得ること」

 

そのためには、最低限コミュニケーションを厭わないくらいに相手に対する自己開示が必要となる。

コミュニケーションをコストと捉える人には、それをすることができない。

 

直接的にコミュニケーションを取る機会の限られる時代だからこそ、希少なコミュニケーションの機会を大事にする必要があるのかもしれない。

 

宅配が当たり前になるどころか、置き配まで当たり前になる時代。

食べ物も生活用品も、家にいるだけで誰かが家の前まで届けてくれる。

 

もはや人との接点を持たずに生活は可能となった。

今はそういう時代なのだ。