今の時代は画面上で何でも解決する時代だ。
私のよく行っていた焼肉屋さんは、オンラインでの予約受付をした途端に、当日に電話をしても予約を取れることが少なくなった。
現代人はコミュニケーションを取ることをコストだと捉える。
だから、電話でしか予約の取れないお店の予約を取ることにはハードルがある。
世の中にお店は溢れているものだから、その些細なハードルの有無によって競争力は変わるのだ。
時代に取り残されないようにするためには、ある程度文明の力を使いこなす必要があるのだ。
「コミュニケーションコスト」
そういう言葉があるけれど、
コミュニケーションの機会をコストと捉えるのか、チャンスと捉えるのかによって人生観は大きく変わる。
自分の力だけで味わうことのできる人生の範囲には限界がある。
人との繋がりによって、人生の幅を大きく広がるのだ。
例えば日本語の通じない外国人とコミュニケーションを取ろうとすることは、一般的にコミュニケーションコストが高い。
しかし、その機会を自分の人生の幅を広げるためのチャンスだと捉えて、積極的に設ける人はそれだけ世界が広がる。
知らない世界に触れる機会が多ければ多いほど、人生は味わい深いものになるということだ。
私は割と初対面の人ともコミュニケーションを取れる自信のある方だ。
しかし、時代はコミュニケーションをコストだと捉える傾向に進んでいる。
これはもしかしたらチャンスなのかもしれない。
コミュニケーションをコストだと捉える人が多い時代では、コミュニケーションスキルの希少価値は上がる。
便利になればなるほど、レガシースキルの使い手が減り、そのスキルの希少価値が上がるというIT関係のスキルと同じようなことが、コミュニケーションにも街頭するのかもしれない。
「人から信頼を得ること」
そのためには、最低限コミュニケーションを厭わないくらいに相手に対する自己開示が必要となる。
コミュニケーションをコストと捉える人には、それをすることができない。
直接的にコミュニケーションを取る機会の限られる時代だからこそ、希少なコミュニケーションの機会を大事にする必要があるのかもしれない。
宅配が当たり前になるどころか、置き配まで当たり前になる時代。
食べ物も生活用品も、家にいるだけで誰かが家の前まで届けてくれる。
もはや人との接点を持たずに生活は可能となった。
今はそういう時代なのだ。