「母親になって後悔している」
2022年に出版された同名タイトルの外国本が当時反響を呼んでいたようだ。
その反響を受けて、世の母親たちにとったアンケート結果が次の記事だ。
アンケート結果によると「母親になったことを後悔したことがある」と答えた人は全体の三分の一程度。
そう答えた人のうち「子供への愛情がある」と答えた人は96パーセント。
つまり、アンケートではほぼ全ての母親が「子供への愛情がある」と答えている。
私には特に問題ない結果だと思うが、三分の一が 「母親になったことを後悔したことがある」という言葉が一人歩きして「けしからん」という風潮を作っているようだ。
むしろ私からすれば「母親になったことを後悔したことがある」と答えた人の割合があまりにも少ないのではないか、と感じる。
時に育児をしていると、地獄のような場面に遭遇することがある。
その時にふと「子供がいなければ」と思うことは一瞬でもあるのではないだろうか。
白状すると私もそう思うことはある。
しかし、その気持ちをすぐに打ち消して、淡々と状況の対処にあたる。
そういう場面は何度も経験している。
父親と母親では責任感が違うのか。
父親はそんないい加減な感情を抱くことはあっても、母親は一ミリもそんな感情を抱くことはない。
そういうことであれば母親の皆さんに頭が上がらない。
しかし、おそらくそういうことではないだろう。
一度も「母親になって後悔をしたことがない」という三分の二の回答には同調圧力があるのではないか。
「後悔したことがある」なんてことは、道義上で口が裂けても言ってはいけない。
そういう風潮が母親たちを苦しめている。
冒頭の本では「後悔している」という感情を赤裸々に綴ったことによって、母親たちにまとわりつく同調圧力を軽減する効果から、意外にも好意的な反響があったようだ。
「親は親らしくいなければならない」
「完璧に子育てをしなければならない」
そんなことは不可能だ。
親にも未熟なところはあるし、耐えきれないと思うこともある。
それでも歯を食いしばって子供を育てる。
その中に親の成長もあり、子供の成長もある。
親も育児を通して子供に成長させてもらうのだ。
すでに私は子供からたくさんなことを学ばせていただいた。
特に「自分の子供は特別かわいいということ」。
人間も元々は理性を持たない動物なのだということ、子供が生まれると夫婦の関係性が変わるということ。
理不尽に耐える忍耐強さ、過酷な環境でもやるべきことをやり切る強さ。
これ以上は愚痴が止まらなそうだが、ありがたくも成長させていただいている実感はある。
社会ってやつは「多様性」を謳いながらも、その多様さに上限を設けているのだ。
そこを少しでも逸脱すると、その人は社会からのはみ出しものだから人権を侵害してでも袋叩きにして良い。
その結果、社会的に抹殺されたとしても、それははみ出しものの自己責任だ。
そういう社会は、いい加減辞めたらどうですか?
人に興味がありすぎる人は、自分の生き方に自信を持てていないのだ。
だから自分よりも劣っている人、不幸な人を見つけては、それを叩くことで「自分はマシ」と悦に浸る。
下の下の自尊心の満たし方。
結局、人間的に最も劣っているのは、そうやって自分を慰めている自分自身なのだ。
人類は、早くその下劣さに気がついたほうがいい。