私の「優しさ」は、
きっと「恋愛」に有益なものではない。
「軽く扱ってもいい」
同一のコミュニティに属していれば別だけれども、
下地のない関係だとそういうことになるのだろう。
「雄としての魅力」
そういうものが足りないのだ。
コミュニティの中では一定の立場を得て、
それが「雄としての魅力」につながるのだろう。
だからそれなりに需要がある。
だけれども、
何の肩書もない「裸の自分」
そこに「雄としての魅力」が足りないのだ。
確かに婚活だとスペックは詳しく書くけどさ。
それってただの文字だ。
実感としては伝わらないのだろう。
とにかく「誠実」であることにこだわる私、
その態度が相手を安心させるとともにつけ上がらせるのだ。
「この人なら断りやすい」だとか、
「怒らないだろう」だとか、
「連絡を途絶えてもいい」だとか、
表では「慣れていません」だなんて猫被っていても、
婚活女子なんて大抵肉食なのだ。
そもそも猫は肉食だ。
被り物すら肉食なのだ。
条件見繕って一番いい獲物を捕まえる。
それ以外はすべて切り捨てる。
それだけの話だ。
だからそれに対抗するためには、
「雄としての魅力」
そういうものが必要なのだろう。
紳士的でありながらも心をかき乱すような魅力、
女性はどれだけ強くなったところで、
自分よりも強い雄を求めているのだ。
だから自分よりも下だと思ったら、
どんなに条件が良くても切り捨てる。
頭では「違う」と言っても、
本能的にそうできているのだ。
「なんか違う」って違和感、
それはきっと本能からくるもの、
私は理性的過ぎるのだ。
だから女性に対して性的な遊び心をちらつかせない。
だけれども、
人並に経験のある女性はきっと、
どこかでそう言うものを求めているのだろう。
さりげなく、それとなく、
そういうものを出していかなければ、
「雄」として見てはもらえないのだ。
エスコートは大事、
だけれどもそれだけでは「フォーマル」で終わってしまう。
踏み込んだ関係を築くためには、
チラつかせることが必要なのだ。
肉食女子を飼いならすだけの「雄としての魅力」
婚活で相手を見つけるならば、
そういうものが必要なのかな。
「自身の暴力性を飼いならす」
そういうことばかりに目を向けてきたけれど、
どうやらそれを解放することも必要みたいだ。
「飼い慣らす」ってことは、
「うまく扱う」ってこと、
ただ「抑え込む」だけでは去勢しているようなものだ。
男が去勢されるのは、
結婚してからでいい。
はじめは「雄」でないと、
肉食女子からは相手にもされないのだ。
獰猛な「雄」を去勢する過程もまた、
肉食女子の楽しみの一つなのだろう。
自ら去勢していたら、
その楽しみを奪うことになるのだ。
女とは何とも恐ろしい生き物だ。