コロナ禍の直前までは婚活をしていたこともあり、
「女性に対する興味」
私の中でそのボルテージは最高潮だったのかもしれない。
だから何を考えるにしても、
「男チーム」と「女チーム」
チーム対抗戦に持ち込んでいたのだ。
だけれども、
もう婚活を離れてから半年が経つ、
ボーナスステージはいつまでも続かない。
私の中で「女性に対する興味」が薄れていくことを感じる。
転機となった記事がある。
この記事は私にとって大きなものだった。
徐々に習慣を変えて、
本当の意味での「ジェンダーレス」
それに近づいているのかもしれない。
「男女の友情」ってやつ、
少なくとも成人した同世代以下で未婚の女性、
私にとって恋愛対象となるような女性との間には、
私はそういうものを信じられなかった。
一時的には成立するだろう。
だけれども、
関係が深まるにつれて、
どちらかの気持ちが一線を越えてしまうのだ。
そうなってしまったら、
そのままの関係ではいられない。
「進む」か。
「去る」か。
その二択を迫られることになる。
元カノとのはじまりは、
まさにこれだった。
二人でよく遊ぶくらい仲のいい友達だったけれど、
なしくずし的に付き合うことになった。
言葉にしたのは私だったけれど、
先に気持ちが動いたのは彼女のほうだったと思う。
すれ違ってからは、
自然と連絡を取らなくなった。
相手はもう既婚で子供もいる。
もしも「仲のいい友達」のまま、
関係が先に進まなかったのならば、
今でも仲良くしていたのだろうか。
それとも違うタイミングで関係は進んだのならば、
一緒になっていたのだろうか。
考えても仕方がない。
もはや違う世界線の話、
「good-by 君の運命の人は僕じゃない」のだ。
話を戻そう。
「女性への興味」
徐々に薄れてきたけれど、
今くらいがちょうどいいのかもしれないな。
ここ数年は、
私と女性たちとの間に色々とありすぎた。
基本的には目を見て話していた私、
女性の目を見て話すことができなくなってしまった。
30歳までは人より結婚願望はなかったし、
人より女性に対する興味も薄かった。
だから意識することなく接することができたのだろう。
アプローチらしきものはたびたびあったけれど、
チャンスをチャンスとも思っていなかった。
当然私も20代ならば、
相手も多くは20代だ。
今では相手にもされないような女性たちからのアプローチ、
振り返れば後悔しかない。
経験を積んでこなかった。
だから30を過ぎてから「いざ出陣!」となったところで、
うまくはいかないのだ。
酷く傷つけられた痛みに耐えられず、
付け焼刃で婚活を始めたところで、
うまくいくはずがないのだ。
もともと燻っていた「女性に対する理想」
それが肥大化して、
女性を「清らかなもの」だと思い込む。
少しばかりの不誠実さに、
「裏切られた」って駄々こねて、
悲劇の主人公を気取ることで、
何とか男としての自尊心を保つ。
空回りしていたのだろうな。
うまくいかない現実に振り回されて、
心を置いてきぼりにして体ばかり動かして、
「惨めな自分」
それを「受け入れつつある」のかな。
まだ「受け入れた」とは言えない。
だけれども、
ここらが手を打つ頃合いなのだろう。
「受け入れる」必要はない。
「受け入れつつある」で十分だ。
なんでも白黒つけたがる。
どちらかといえば私はそういう気質だ。
「善悪」をはっきりさせたがる。
そうやって生きてきた。
そういう時代ではない。
パーソナリティの肥大化した時代、
人に迷惑をかけない範囲で、
それぞれがよろしくやっていればいいのだ。
だから私も好きにさせてもらおう。
私は「女性に対する誠実さ」を手放す。
だけれども、
「人に対する誠実さ」は手放さない。
「ジェンダーレス」
それって「男尊女卑」でも「女尊男卑」でもない。
いわゆる「らしさ」なんてものも、
気にする必要はないのだ。
これからの私は、
「ジェンダー」を都合よく使い分けるやつに容赦はしない。
「人としてどうなのか」
結局、大事なのはそういうこと、