「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

女性に対する興味が失われていく

f:id:tureture30:20200820061417j:image

 

コロナ禍の直前までは婚活をしていたこともあり、

「女性に対する興味」

私の中でそのボルテージは最高潮だったのかもしれない。


だから何を考えるにしても、

「男チーム」と「女チーム」

チーム対抗戦に持ち込んでいたのだ。


だけれども、

もう婚活を離れてから半年が経つ、


ボーナスステージはいつまでも続かない。

私の中で「女性に対する興味」が薄れていくことを感じる。


転機となった記事がある。

tureture30.hatenadiary.jp

 

この記事は私にとって大きなものだった。


徐々に習慣を変えて、

本当の意味での「ジェンダーレス」

それに近づいているのかもしれない。


「男女の友情」ってやつ、


少なくとも成人した同世代以下で未婚の女性、

私にとって恋愛対象となるような女性との間には、

私はそういうものを信じられなかった。


一時的には成立するだろう。


だけれども、

関係が深まるにつれて、

どちらかの気持ちが一線を越えてしまうのだ。


そうなってしまったら、

そのままの関係ではいられない。


「進む」か。

「去る」か。

その二択を迫られることになる。


元カノとのはじまりは、

まさにこれだった。


二人でよく遊ぶくらい仲のいい友達だったけれど、

なしくずし的に付き合うことになった。


言葉にしたのは私だったけれど、

先に気持ちが動いたのは彼女のほうだったと思う。


すれ違ってからは、

自然と連絡を取らなくなった。


相手はもう既婚で子供もいる。


もしも「仲のいい友達」のまま、

関係が先に進まなかったのならば、

今でも仲良くしていたのだろうか。


それとも違うタイミングで関係は進んだのならば、

一緒になっていたのだろうか。


考えても仕方がない。


もはや違う世界線の話、

「good-by 君の運命の人は僕じゃない」のだ。


話を戻そう。


「女性への興味」


徐々に薄れてきたけれど、

今くらいがちょうどいいのかもしれないな。


ここ数年は、

私と女性たちとの間に色々とありすぎた。


基本的には目を見て話していた私、

女性の目を見て話すことができなくなってしまった。


30歳までは人より結婚願望はなかったし、

人より女性に対する興味も薄かった。

だから意識することなく接することができたのだろう。


アプローチらしきものはたびたびあったけれど、

チャンスをチャンスとも思っていなかった。


当然私も20代ならば、

相手も多くは20代だ。


今では相手にもされないような女性たちからのアプローチ、

振り返れば後悔しかない。


経験を積んでこなかった。

だから30を過ぎてから「いざ出陣!」となったところで、

うまくはいかないのだ。


酷く傷つけられた痛みに耐えられず、

付け焼刃で婚活を始めたところで、

うまくいくはずがないのだ。


もともと燻っていた「女性に対する理想」


それが肥大化して、

女性を「清らかなもの」だと思い込む。


少しばかりの不誠実さに、

「裏切られた」って駄々こねて、

悲劇の主人公を気取ることで、

何とか男としての自尊心を保つ。


空回りしていたのだろうな。


うまくいかない現実に振り回されて、

心を置いてきぼりにして体ばかり動かして、


「惨めな自分」


それを「受け入れつつある」のかな。

まだ「受け入れた」とは言えない。


だけれども、

ここらが手を打つ頃合いなのだろう。


「受け入れる」必要はない。

「受け入れつつある」で十分だ。


なんでも白黒つけたがる。

どちらかといえば私はそういう気質だ。


「善悪」をはっきりさせたがる。

そうやって生きてきた。


そういう時代ではない。

パーソナリティの肥大化した時代、


人に迷惑をかけない範囲で、

それぞれがよろしくやっていればいいのだ。


だから私も好きにさせてもらおう。


私は「女性に対する誠実さ」を手放す。


だけれども、

「人に対する誠実さ」は手放さない。


ジェンダーレス」


それって「男尊女卑」でも「女尊男卑」でもない。

いわゆる「らしさ」なんてものも、

気にする必要はないのだ。


これからの私は、

ジェンダー」を都合よく使い分けるやつに容赦はしない。


「人としてどうなのか」

結局、大事なのはそういうこと、