女性に対する興味が失われていく

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コロナ禍の直前までは婚活をしていたこともあり、

「女性に対する興味」

私の中でそのボルテージは最高潮だったのかもしれない。


だから何を考えるにしても、

「男チーム」と「女チーム」

チーム対抗戦に持ち込んでいたのだ。


だけれども、

もう婚活を離れてから半年が経つ、


ボーナスステージはいつまでも続かない。

私の中で「女性に対する興味」が薄れていくことを感じる。


転機となった記事がある。

tureture30.hatenadiary.jp

 

この記事は私にとって大きなものだった。


徐々に習慣を変えて、

本当の意味での「ジェンダーレス」

それに近づいているのかもしれない。


「男女の友情」ってやつ、


少なくとも成人した同世代以下で未婚の女性、

私にとって恋愛対象となるような女性との間には、

私はそういうものを信じられなかった。


一時的には成立するだろう。


だけれども、

関係が深まるにつれて、

どちらかの気持ちが一線を越えてしまうのだ。


そうなってしまったら、

そのままの関係ではいられない。


「進む」か。

「去る」か。

その二択を迫られることになる。


元カノとのはじまりは、

まさにこれだった。


二人でよく遊ぶくらい仲のいい友達だったけれど、

なしくずし的に付き合うことになった。


言葉にしたのは私だったけれど、

先に気持ちが動いたのは彼女のほうだったと思う。


すれ違ってからは、

自然と連絡を取らなくなった。


相手はもう既婚で子供もいる。


もしも「仲のいい友達」のまま、

関係が先に進まなかったのならば、

今でも仲良くしていたのだろうか。


それとも違うタイミングで関係は進んだのならば、

一緒になっていたのだろうか。


考えても仕方がない。


もはや違う世界線の話、

「good-by 君の運命の人は僕じゃない」のだ。


話を戻そう。


「女性への興味」


徐々に薄れてきたけれど、

今くらいがちょうどいいのかもしれないな。


ここ数年は、

私と女性たちとの間に色々とありすぎた。


基本的には目を見て話していた私、

女性の目を見て話すことができなくなってしまった。


30歳までは人より結婚願望はなかったし、

人より女性に対する興味も薄かった。

だから意識することなく接することができたのだろう。


アプローチらしきものはたびたびあったけれど、

チャンスをチャンスとも思っていなかった。


当然私も20代ならば、

相手も多くは20代だ。


今では相手にもされないような女性たちからのアプローチ、

振り返れば後悔しかない。


経験を積んでこなかった。

だから30を過ぎてから「いざ出陣!」となったところで、

うまくはいかないのだ。


酷く傷つけられた痛みに耐えられず、

付け焼刃で婚活を始めたところで、

うまくいくはずがないのだ。


もともと燻っていた「女性に対する理想」


それが肥大化して、

女性を「清らかなもの」だと思い込む。


少しばかりの不誠実さに、

「裏切られた」って駄々こねて、

悲劇の主人公を気取ることで、

何とか男としての自尊心を保つ。


空回りしていたのだろうな。


うまくいかない現実に振り回されて、

心を置いてきぼりにして体ばかり動かして、


「惨めな自分」


それを「受け入れつつある」のかな。

まだ「受け入れた」とは言えない。


だけれども、

ここらが手を打つ頃合いなのだろう。


「受け入れる」必要はない。

「受け入れつつある」で十分だ。


なんでも白黒つけたがる。

どちらかといえば私はそういう気質だ。


「善悪」をはっきりさせたがる。

そうやって生きてきた。


そういう時代ではない。

パーソナリティの肥大化した時代、


人に迷惑をかけない範囲で、

それぞれがよろしくやっていればいいのだ。


だから私も好きにさせてもらおう。


私は「女性に対する誠実さ」を手放す。


だけれども、

「人に対する誠実さ」は手放さない。


ジェンダーレス」


それって「男尊女卑」でも「女尊男卑」でもない。

いわゆる「らしさ」なんてものも、

気にする必要はないのだ。


これからの私は、

ジェンダー」を都合よく使い分けるやつに容赦はしない。


「人としてどうなのか」

結局、大事なのはそういうこと、