「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

~芦田愛菜さんに学ぶ~「信じる」ってこと

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映画『星の子』の完成イベントで、

芦田愛菜さんが「信じる」について問われて、

その回答が秀逸だった。


「裏切られたって言う人がいるけれど、

それは相手の見えなかったところが見えただけ、

それも含めて相手なんだって思って受け止める、

そんな揺るがない自分がいるってことが『信じる』ってことだと思う」


続けて、

「揺るがない軸を持つことは難しい。

だから人は『信じる』と口にして理想にすがりたがる」


16歳でこんなことが言えるのか。

素直に感嘆した。


もはや「愛菜ちゃん」ではない。

芦田愛菜さん」だ。


「人生を一度やり直している」

「本当は見た目の若すぎるおばあさんなんじゃないか」

異世界から転生しているんじゃないか」


そう揶揄されるのも納得だ。


『星の子』


原作は今村夏子さんの小説だ。

私も半年ほど前に読んだ。


婚活で出会った女性とのデートで寄った本屋、

その最中に購入した本だ。


詳しくは控えるが、

内容はかなりぶっ飛んでいるけれど、

妙にしっくりくる設定だ。


「幸せは人が決めるものではない」

そんなテーマの作品だ。


西加奈子さんの『サラバ』

どことなくテーマが似ている。


「自分になる」


幼少期をさかのぼり、

その葛藤を鮮やかに濃淡使い分けて描いている。

そんな作品だ。


話を戻そう。


「信じる」ってこと、


私にとっては「人を道具として見ない」ということだろうか。

「使い捨て」ではない。

「誠意をもって接する」ということ、

その接し方が「信じる」ってことだと思う。


だけれども、

相手が私のことを「道具」だと思っていれば、

「裏切られる」ことになる。


その時に「芦田愛菜さん」論だ。


「相手の見えなかったところが見えただけ、

それも含めて相手なんだって受け止める」


相手は「脆く不完全で血の通った人間」

「生身の弱い人間」なのだ。

 

私の「人を道具として見ない」論につながる。


誰かに「裏切られた」ところで、

その人との今後はともかくとして、

我々は「人を信じること」を辞めるわけにはいかないのだ。


思いもよらず、

自分が誰かを「裏切っている」こともある。

「期待を」という意味では尚更あることだろう。


人は誰かに期待し、誰かから期待され、

それを裏切り、裏切られる。


「裏切られた」と嘆いたところで、

何の解決にもならないのだ。


それでも「信じる」ということ、

「信じ続ける」ということ、

それは他の誰でもない自分自身の問題だ。


おそらく芦田愛菜さんも、

そういうことが言いたかったのではないか。


「ドキッ」としてしまう。

運命を感じてしまうな。


もしかしたら、

私の運命の人は芦田愛菜さんか。


いや、待て、

年齢的に犯罪だ。


人生はいつだってすれ違い。

「いつもちょっとだけ間に合わない」のだ。


冗談なので悪しからず、

警察への通報は勘弁してほしい。