実際に「コントロールできているかどうか」なんてわからない。
対象が何であれ、大抵はそういうものだ。
ましてや「人の気持ち」をコントロールしようだなんて持っての他、
ジュディ・オングさんが歌っているように、
「好きな男の腕の中でも他の男のことを考えている」
そういうことだってある。
「生活」だって、
「健康」にしたって、
「お金」のことにしたって、
その時の最善を尽くしたところで、
少し先はどうなっているかもわからない。
いくらコントロールしたところで、
思うような結果に結びつかないことは、
往々にしてあるのだ。
だから「コントロールしている」と思うのではなく、
「コントロールした気になる」
私は始めからそらを目指すようにしている。
「した気になる」
それだけでも、
大いにメンタルヘルスへの効果はあるのだ。
人は対処困難なことに直面したときに、
それをストレスとして受け止める。
「不安」や「恐怖」が大きいほどに、
ちょっとしたことにストレスを感じるようになる。
「コントロールすること」を目的としてしまうと、
ずいぶんと高いところを目指す羽目になって、
ストレス要因は増えるばかり、
だから普段から生活を整えて、
ただ「やるべきことを不足なくやっている気になる」のだ。
もちろん不足があってもいい。
「した気になる」ことが目的なのだから、
私の性格上、
目的を高いところにおけばおくほど、
抜け目なくチェックをし始める。
もちろんビジネスではそうあるべき場合は多いけれど、
プライベートで100%を目指すことは、
あまりにもコスパが悪すぎるのだ。
80%もできていれば上々だし、
60%だったところで大抵は問題ない。
50%を割ったあたりでようやく反省してみれば良い。
それくらいでちょうどいいのだ。
「自分を気持ちよくさせてあげる」
抜くところはしっかりと抜いて、
やるべきことはしっかりとやる。
どこかで見た「手抜きの達人になる」という言葉、
とても大事だと感じた。
理想は確固として掲げつつも、
常に理想しか目に入らないようでは息切れしてしまう。
目的は高いところに置くのではなく、
ちょうどいいところ、
言わば「落とし所」
そういうパーセンテージにチューニングするのだ。
「した気になる」
自分の心に嘘はつけても、
自分の体に嘘をつくことはできない。
体がもたなくなってしまう前に、
ちょうど良いところに落とし込む。
「した気になる」というのは、
そのためのスキルなのかな。