「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

婚活女性の言う「〇〇が好き」の薄っぺらさ

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婚活に勤しんでいた時期、


多くの女性とデートを重ねたものだから、

こんな私でもそれなりに、

相手の話を引き出す術を身につけたつもりだ。


あくまでも「それなり」

プレイボーイからしたら赤子のようなものだろうけれど、


その中で感じたこと、


「○○が好き」と言っていて(プロフに書いていて)

それをガチで好きな女性はほとんどいない。


私もよく知らないようなものを挙げられれば、

「ガチ率」は飛躍的に高まるけれども、

「当たり障りのないもの」ならば、

私から見て「本当に好きなの?」というレベルだ。


私はサブカル全般に対して、

「広く浅く」押さえているつもりだ。

 

あくまでも「広く浅く」

これも「ガチ勢」からすれば鼻で笑われるレベルだと自負している。


私は「人が興味のあること」に興味がある。


「なぜこの人はこれにハマっているのだろう」とか、

「この人がこれが好きだなんて以外!」だとか、

そういうのに興味があるのだろう。


言い換えれば「人」というものに興味がある。

そういう変人なのかもしれない。

 

私は知的好奇心を、
「人生に彩りを添えるためのもの」

それくらいの感覚で捉えている。


だから「広く浅く」でいい。

話のネタになればいいのだ。

 

話を引き出すときに、

知らないことを教えてもらうにも、

下地がなければ話にならない。


だから「教えてもらえるくらい」には、

広く浅く抑えておきたい。

概ねそういうことだ。

 

ところがそんな私の「広く浅く」が、

女性たちの「好き」を知識で凌駕してしまうことが珍しくない。


「読書が好き」だという女性、

彼女が最近読んだ本の話を膨らませて、

著者の別作品が良かったと話すと「読んでいない」と言う。


気を取り直して「好きだ」という作家を教えてもらう。

私はその代表作しか読んでいなかったけれど、

記憶をフル動員して「こんな話でしたっけ?」と振ると、

好きな作家の代表作なはずなのに、

またも「読んでいない」という。


ジブリが好き」と言っていた別の女性、


私が「ナウシカ」とか、

「フィオ」のような女性が好みと言うと、

「フィオって誰?」と返してくる。


「『紅の豚』のヒロインですよ」と伝えると、

「見ていない」と言う。


ONE PIECE』だとか、

「ディズニー」だとか、

大抵そんな調子だ。

 

ガチで好きだという「BUMP OF CHICKEN」に至っては、

1番好きな曲は『天体観測』だと言われた時点で萎えた。


「やれやれ」


私の頭の中で、

村上春樹の小説の主人公がつくような、

そんなため息が聞こえてきそうだ。


結局は「好き」と言っても人それぞれ、

「好き」を増やして「好き」に囲まれて生きる。

そっちの方が幸せそうだ。


私は「好き」に対して、

真摯に向き合いすぎなのかもしれない。


だから私は結婚できないのだ。


ブログを書き続けて感じるのだけれど、

私の中で「好き」のハードルは徐々に下がっている気がする。


「良いな」と思ったものを記事に書くと、

なんだか書いたものが私の中で育っていって、

「とても良いもの」のように思えてくるのだ。

 

人は時間をかけた分だけその対象に愛着を持つ。

そういうことなのかも知れない。


私はこれまで「話のネタ」程度にかじってきた、

多くのものを消化せずにいたのだ。


ブログを書き続けている効果か。


手間をかければ、

それに対して愛着が湧く。


当たり前のことなんだけれど、

身をもってそれを実感した気がする。


「広く浅く」


なにやら「インテリジェンス」な響き、

私はそんな知的な響きに酔っていたのだろう。


だから「好きなものは好き」と言う。

それは怖いことだけれども、

そこからがスタートライン、


YOASOBI『群青』

 

少し前に記事にしたけれど、

私がこの曲の歌詞に惹かれたのは、

私が「私の好き」を抑え続けていたからなのかもしれない。


女性と懇意になりたければ、

同じ目線で会話をすることが大事だ。


目の前の人と「好き」なことについて話し合っているのに、

「好き」の深さが違ったら、

話がかみ合わないのは当たり前だ。

 

「好き」が薄過ぎると印象に残らないし、

「好き」が厚すぎても煙たがられてしまう。

なんとも難しいものだ。


もっと目の前の人の笑顔を引き出すために、

私は「私の好き」に対して、

もっと正直になろうと思った。

 

私の場合は、

もう少し薄っぺらいくらいがちょうど良いのだ。

もっと自分に都合よく生きよう。