「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

着る物に困る季節

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私はスーツのジャケットを着出したけど、いまだにワイシャツだけの人も目立つ。

カーディガンを着る人もいれば着ない人もいる。

今は、思い思いの服装を楽しむ時期なのかもしれない。

 

男ならば、基本的にはスーツという決まった仕事着があるから、まだ選択肢は少ない。

しかし、女性は色々と大変だ。

夏もの、秋もの、冬もの、選択肢は無数にある。

 

流石にコートを着ている人はほとんどいないけれど、先日はダウンジャケットを着ている人もいたから、一概に無しとも言えないのかもしれない。

 

着る物によっても評価される。

身だしなみを整えることもまた、評価対象となるのだ。

何事も隙なく、身なりも仕上げて過ごさなければならない社会は、なんとも窮屈だと感じる。

 

信念を持っている領域の他は、多数派にとどまることが目的であることがほとんどだ。

「どうでも良い」と思っていることほど、多数派の枠に収まるように努力しなければならない。

 

なんとも逆説的だ。

興味のないことに努力しなければ生きづらい環境が待っている。

私たちは効率よく自分のしたいことに使う時間を確保するために、興味のないことに時間を割いているといえるのだ。

 

「多様性」が叫ばれるようになった。

しかし、それは「多様性を叫ぶこと」が多数派になったからだ。

本当の意味で人の意識が変わって、多様性に対する寛容さが市民権を得たわけではない。

 

一線が引かれていて、そこからはみ出さない範囲での多様性は認めるけれど、そこを逸脱するような多様性は嫌悪の対象となる。

その一線を見極める能力の低い人は、「発達障害」であると一括りにされて、当事者以外は、その濃淡に興味を示すことはない。

 

個性って色々あるのにね。

わかりやすいラベル付けで理解したつもりになることで安心する。

 

だいぶ話が逸れた。

着る物に困るという話だ。

 

暑さ寒さを感じるのもまた個性。

切るものを変えることが面倒だから、薄着のまま過ごしたり、これから先は寒くなる一方であることを見越して、冬服に変える人もいる。

 

服の選び方ひとつ取っても、個体差があるのだ。

どれが正解なのか。どれが多数派なのか。

どれを選択すれば、集団に受け入れられるのか。

 

そんなことばかりに時間を使うことはもったいない。

しかし、一定の時間を使わないと、無駄に煩わしい環境に身を置くことになり、クオリティオブライフが下がることも否定できない。

 

「普通」を目指して、適度に気を遣いながら服装を決める。

面倒だけど、おそらくそれが無難なのだろう。