「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「失敗したくない」若者たち

f:id:tureture30:20240724073436j:image

 

 

 

 

 

今の若者たちは、失敗することを過剰に恐れている。

情報はオンラインでいくらでも手に入るから、未経験の方でも失敗しないための手順が世の中に溢れている。

 

旧世代の私たちは、とにかく挑戦して失敗から学んで成長するということがセオリーだったが、どうやらそれが変わりつつあるようだ。

 

失敗することに対する恥じらいが大きくなったのだろうか。

それとも、失敗すること自体のリスクが上がったのだろうか。

後者のように思う。

 

SNS全盛の時代。

今の時代は、誰もが高性能カメラを持ち歩く記者だ。

もし公共の場で粗相をしようものならば、それが一瞬で全世界に拡散されるリスクがある。

 

そうなったら「人生終わり」

そう言う恐怖感を、今の若者は物心ついた時から肌で感じているのかもしれない。

学校内でのいじめは陰湿なものとなった。

大人にはわからないところで情報共有をして、集団で被害者を追い詰める。

 

自分が被害者側にならないように立ち回らなければ、学校生活は簡単に「終わる」のだ。

社会に出てからも同じ。

社内でコミュニケーションツールを使用することが当たり前になったから、クローズドな個人間のやり取りは簡単に行えるようになった。

 

もちろん、あからさまな誹謗中傷を社内ツールで行うことはないだろうけれども、不信感や不満を吐露する機会は、昔と比べたら格段に増えただろう。

 

今の社会は、多様性を謳う監視社会なのだ。

お互いがお互いを監視して、社会的道理に反していないか。

集団の思考から逸脱した人間がいないか、と情報共有し合う。

 

表向きは「多様性を認めよう」と働きかけているが、あくまでもその「多様性」は、自分が認めることのできる範囲内だけ。

そこから少しでも逸脱した途端に、周りの全部が敵になるのだ。

 

だから多くの若者は、個性を発揮したがりながらも、リスクを取ることを避けるようになる。

そういうことなのかもしれない。

 

人間の本質は陰湿なのだろうか。

ホモ・サピエンスは他の人類と比べて、周りと協調することで過酷な環境を生き抜いてきた。

だからこそ、コミュニティの存続を大事にする。

 

今も昔も変わらない。

そこに害をなすものは敵なのだ。

そんな我々に本当の意味で「多様性」を認めることはできるのだろうか。

 

今の若者たちは、とても複雑な時代に人格形成をして、その価値観をもとに生きている。

足場の不安定な社会で、足を踏み外さないように必死で生きているのだろうか。