「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「根拠のない自信」の出所

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どんなに苦しい状況でも、

「いい方向に向かう」と信じて生きている人は、

ある意味では「自分の人生を愛している」のかもしれない。


「根拠のない自信」


人は「経験を信仰する生き物」だから、

これまで培ってきた成功体験、


それを確固たるものとして大事にしている人は、

それが土台に鎮座されていて、

大きな揺れがあったとしても、

その衝撃を緩和してくれるのだろう。


「成功習慣」としてよく目にするけれど、

一日の終わりにはその日にあったポジティブなことを思い出して、

自己肯定感を高めてから就寝するといいらしい。


一種の自己暗示だ。


「自分の人生はうまくいっている」

「自分は人生をコントロールできている」

「今日も一日これだけ人生が前に進んだ」


そうやって「幸せな一日」を演出することで、

人生に意味があるように思えてくる。


大した成功体験でなくてもいい。


人は「できなかったこと」ばかりに囚われてしまうから、

敢えて「できたこと」にフォーカスすることで幸せを感じるのだ。


もうさ。

なんでもいい。


なんでもいいからさ。

「満たされている」と感じたい。


「渇く」

とにかく「渇く」のだ。


どんなに一日の終わりに「幸せな人生」を演出してみても、

この「渇き」を潤してくれることはない。


「惨めさ」を感じながら過ごして、

「惨めさ」で夜中に目が覚める。


進む見込みのない関係だったのに、

唯一繋がっていた女性とのやり取りを断ち切っただけで、

こんなにも「惨めさ」が増すとは思わなかった。


いつだって、ないものねだり、


どれだけ「自分らしさ」なるものを探求したところで、

誰かと比べてばかりいるからさ。


周りから取り残されたような欠落感を感じて、

そのポッカリと空いた穴に魅了されて、

その穴こそが自分なんだって、

そのに妙な使命感なんか感じちゃってさ。

 

悲劇の主人公を気取ることが生きがいになって、

足りないところばかりを注視するようになる。


「先のこと」ばかり考えているくせに、

その「先のこと」に希望を見出すことができない。

 

なんのために健康管理をしているんだろうね。

なんのためにお金を貯めているんだろうね。


「幸せ」ってなんだろうね。


「今の自分を肯定できていること」なのかな。

「自分の将来に希望を持ち続けられる」ってことなのかな。

それとも、その両方なのかな。


自ら「幸せな人生」を演出するために、

いくら「自己暗示」を続けたところで、

それを「自己暗示」だと思っているうちは暗示にかからないのだろう。


「こうすれば幸せになれるよ」って言われたら、

無条件にその言葉を受け入れられるくらいに素直であれば、

こんなに悩まなくてもいいのだろうか。


それはそれで別の悩みが出てきそうだけれども、


「根拠」なんて全くなくていいから、

心の底から「大丈夫だ」って、

自分の将来に希望を持ち続けられるようになりたい。

そうじゃないと、あまりにも辛いから、

 

もう悲劇の主人公を気取るのには飽きた。