いつからだろうか。
ちょっとしたことで余裕がなくなるようになってしまったのは、
いつからだろうか。
どこか「渇き」を感じながら日々を過ごすようになったのは、
季節もあるのかもしれないけれど、
どうやら最近の私はちょっとしたことに大きなストレスを感じるようだ。
特に「何かを強いられること」に敏感だ。
主体的に生きていないのかもしれない。
どこか後頭部がひりひりするような感覚があり、
頭痛とイライラが押し寄せてくる。
私の自律神経は5年前からバカになっているので、
「偏桃体」は過活性してアラートを鳴らし続ける。
「私がどこか遠くへ行ってしまわないように」って、
うるさく「休息」を催促するのだ。
私は概ねそのアラートに従って、
なんとかここまで「生」を繋いできた。
「心のリソース」
私は燃費が悪いのだろうか。
いや、そんな感じはしない。
きっと残量計が狂っているのだろう。
だからまだ燃料が残っているのに、
残量計の方から「残りは少ない」と主張してくる。
少し前のiPhoneがそうだった。
数分前には残量80%だったはずなのに、
急に「残量が少なくなりました」と表示される。
残量計に従って電源機能は設計されているものだから、
実際の残量に関わらず動きは止まる。
だけれども、
そこも含めての「リソース」なのかな。
残量計を修理するところから始めなければならない。
少しずつ行動の幅を広げていって、
「ここまでは大丈夫」って、脳にインプットするしかないのだ。
臨む将来があって、そのための努力を続けていても、
いざという時に「アラート」が鳴り響き「臆病」が顔を出す。
それではいつまで経っても先に進めないのだ。
「時の流れ」は一定ではない。
何もしていなければ、時はするりと流れていくけれど、
何かに挑戦している時は、その期間がとても濃密に感じられる。
「濃密な時」を過ごすためには「燃料」が必要なのだ。
私はその「燃料」をどこに求めたらいいのだろうか。
もはや「愛」だの「恋」だのと言うものは当てにならない。
「喜び」と言う感情は「感覚器官」が壊れてしまったのではないかと言うくらいに湧いてこない。
ただ「責任感」と言うものにすがりついている。
それも、限界は近いのかもしれない。
何かに夢中になって、
「生きがい」を感じられる様になれば、
「燃料」はふつふつと湧いてくるのだろうか。