未知への憧れ。
未知であるうち、多くのものは「憧れ」によるバイアスで輝いて見えている。
ティーンエイジャーの時は、未知で満たされていた世界がキラキラと輝いたものに見えていた。
未経験のうちは、女性を覆う神秘のヴェールが、その魅力を際立たせていた。
人は年を取るたびに「知ってしまう」のだ。
「夢」も「希望」も、それを内包する世界そのものも、それが思っていたよりも優しく残酷であることを。
「自分の人生は、自分で生きるしかない」
それを突きつけられた時に、人は世界を疑う。
突きつけられることが当たり前となり、それに慣れた時に、人は世界を知るのだ。
だけれども、それも悪くはない。
世界のことを知る中で、それが思っていたよりも自分と深く繋がっていたことに気がつき、親近感を覚えることもある。
もちろんその逆で、世界から搾取されることも珍しくない。
世界は、誰に対しても優しくて残酷なのだ。
『アタック25』で、自分が取ったパネルの分だけクイズの映像が明らかになるように、これまでの人生で正解を答えてきた数だけ、その後の人生の見通しが立ちやすくなるのかもしれない。
だけれども、人生では失敗も大きな価値を持つ。
たとえ回答の結果が不正解となり立たされたとしても、立たされている間に他の人がどんどんパネルを獲得していったとしても、挑戦しなければ成果を得ることができないのだ。
回答ボタンを押した先に待ち受けているものが、拍子抜けするような未来だとしても、逆に残酷な未来だとしても、それを掴み取るまで未来がどのような色で、どのような形をしているのかはわからない。
そして、それがどんな性質を持っていたとしても、それを自分の人生の一部として、育み続けるしかないのだ。
「あなたの未来は明るい」
「希望に満ちている」
そんな無責任なことは言えないけれども、
これだけは言える。
「人生、悪いことばかりではない」
それだけは信じて、前に進もう。
良いことも悪いことも、
私の、そして、あなたの人生なのだから。